【レビューno.3】『そらいろのたね』大人の目線と、正直な「たね」たち
『そらいろのたね』
1967年に福音館書店から発売された絵本です。
作・絵は『ぐりとぐら』でおなじみの中川李枝子さんと大村百合子さんです。世界でも人気のある作品で、英語ver.も存在。お二人の作品は、世界で非常に人気の高い作品ばかりなのです。
その中から今回は『そらいろのたね』をご紹介。白と青が基調のさわやかな絵本です。
まだお読みになったことのないみなさん、ぜひ書店へ足を運んでみてください! 幼いころに学んだ、大切なことがたっぷりと詰まっています。
あらすじ*
主人公のゆうじくんは、かっこいい飛行機の模型で遊んでいました。
そこにきつねが現れ、自分の持っていた「そらいろのたね」と交換してほしいと頼むのです。ゆうじくんは交換した種を大切に育てます。すると、その種がみるみる成長して・・・。
”欲張りは身を亡ぼす”なんてわかっていたけれど
簡単にまとめてしまうと、きつねはちょぴり欲張りだったのです。
自分が一番、かっこいいものを持っていたかった。かっこいいものは全部自分のものにしたかったんですよね。
まさに、”お前のものは、俺のもの”。
ドラえもんに出てくるジャイアンがよく口にする言葉です。「まあ、なんて図々しいの! 」なんて言いたくなることもありますが、『そらいろのたね』を読んでハッと、自分もこういく感覚に陥ることはないかな?! と、少し冷や汗でした。
意外と、身近な感覚なのかもしれません。子供のころは、誰もが一度は虜になった感覚なのかもしれません。ここのきつねは、とても人間らしい、そんな感覚を持っていたのですね。
しかしやはり、”欲張りは身を亡ぼす”。自分の欲ばかり押し通してしまったことによって、全部が崩れてしまうのです。
”HAPPYはみんなにおすそ分け”という徳
そんなきつねとは相反して、ゆうじは自分の得たHAPPYにみんなを巻き込みます。つい、「なんていいこなの? 」と声を漏らしそうになりますが、こちらも同様に、子供のころに誰もが通った道なのかもしれません。
ちなみに、ここに描かれるゆうじのHAPPYはちいさいころに憧れを抱いていたものそのものでした。よくお友達と、妄想しながら話したなあなんて思い出してすこしほっこりとします。
読まれたことのあるみなさん、いかがでしょうか?
読まれたことのないみなさんは、ぜひ予想してみてくださいね。
自分に訪れた幸せや、チャンスを人に分け与えるというのは、理想的ですが非常に勇気のいる行為だともいます。それをあたりまえにできてしまうゆうじくん。もうわたしはすっかり大きくなってしまいましたが、大変勉強をさせられました。
「どっちが良く」て「どっちが悪い」なんて、ないんだった
『そらいろのたね』に登場するメインキャラクターとして、ゆうじくんときつねがおり、両者についてお話をしてきました。一見、きつねは自己中心的で、ゆうじくんはいい子と求めたくなりますが、どちらが良いも悪いもないんですよね。
そういった意味で、子供という存在は、「人間のたね」みたいだなあと思います。
どうしても比較して優劣をつけがちですが、どちらも子供であることに変わりはありません。そして、すこし周りを見渡すと、子供には必ずどちらかの特性があると思うのです。ちょっと意地悪しちゃったり、周りが心配するくらいいい子だったり。でも、しばらく経つと、お互いが自分に今までなかった特性を身につけ始めるのではないでしょうか。
そう考えると、きつねもゆうじも、どちらもとても大切な存在です。私たち人間の、それこそ「たね」のような存在と例えてもよいのかもしれません。
また結果として、この作品ではきつねの存在を用いて「欲張りはいけません」ということを伝えますが、この際に傷つく存在は誰一人いないのです。この部分が、何よりも、両者の必要性を肯定し、ありがちな感情を教訓として上手に伝えているのです。
まとめ
中川さんと大村さんの作品には多くの子供たちが登場します。
その中でも性格はみなバラバラで、個性的ですが、誰一人が浮くことなく存在しています。この『そらいろのたね』ででてくるゆうじもきつねも、その子供たちのなかの1人なのです。
つい大人の目線で様々な個性に優劣をつけがちですが、その優劣を0にして向き合っていくと、学ぶことが予想以上に多いのかもしれません。
将来は、絵本を用いた子育ては、大変有効だと思いますが、その都度絵本から「こども」という存在を学んでいきたいと思います。